クソ人生

漠然と、生きていくことに絶望しそうになる瞬間がある。

なんの為に生きているのか、これだけ生きてきたって理解らなくなるのだ。

社会と、現世と、折り合いを付けられない。

こういう現象は、当たり前の事ながら、自分だけでは無いとは思う。

けれど、結局は自分自身の問題であり、自分自身で寛解すべきことなのだ。

 

自分の半生を振り返る。

決して器用なタイプではなかったが、人間関係を築く事が苦手という程は不器用ではなかったと思う。少なくない友人はいたし、恋愛もそれなりに経験した。

頭脳は良くも無いが悪くもなかった。凡庸といって良いと思う。

ただ根性みたいなものは人一倍あったと思う。

だから、社会生活に進出するのが遅れた時も、与えられた状況を理解し、凡庸な頭を根性論でカバーして、波瀾曲折ありつつも、なんとかやってこれた。

 

今になって、どうしようも無い行き詰まりを感じる。

どう生きていけばいいのだろう。

経験の中から、答えが出せない。

答えなんか出せないから、生きていくしかないのだろう。

 

 

人生は死ぬまでの壮大な暇潰し

20代前半から、ずっと大事にしている訓戒。

『人生は死ぬまでの壮大な暇潰し。』

人生は暇潰しなのだから、一分一秒も無駄にしたくない。

やらねばならぬ、ばかりでなく、やりたいことを思いつく限りやれ。

そんなアッパラパー思考を整理するために、僕は手帳やらメモ帳を活用してきました。

手帳はシステムダイアリー、メモ帳はロディアが好きです。

ちと特殊な仕様でオーダーした幅広バインダーに、ロディアのA7。

さきほど今年の新しいスケジュールリフィルを入れ、気分一新。

これからも一緒に歳を重ねながら、末永く暇潰しに付き合ってもらおう。